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アスリートとアスリートを応援する人のための知識データベース

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プロスポーツの世界に身をおく選手達にとって、引退後のセカンドキャリアは避けて通れない道だ。監督、コーチ、フロントスタッフ、解説者。そんなステージに立てるのは、どのスポーツでもごく一部の人間に限られている。
 
大多数のアスリートが引退後の生活に不安を抱えており、自身が希望する道に進めるのは極めて稀なケースだ。今回はサッカーに限定して、アスリートのセカンドキャリアを考察してみたい。
 

Jリーガーの平均引退年齢は25歳といわれている。毎年100人前後のプロ契約者が生まれ、ほぼその同数だけ選手が引退していく。
現在Jリーグの監督を指揮するのに必要なS級ライセンス保持者は400名超。資格取得が決して容易ではないS級を習得できても、外国人監督も多いJ全53クラブの監督となるのは狭き門だ。
 

プロクラブ数が多く、国内に溢れるスクールのコーチ職なども含めれば、サッカーは他スポーツと比較すれば職探しの母数という点では恵まれているのかもしれない。
ただ一方では、プロ選手の在籍数の多さから競争率も高く、コーチなどクラブスタッフの入れ替えの頻度も多い。更に近年ではプロ選手としての経験がない指導者もスペイン、ドイツといった強豪国で腕を磨き、国内での指導者を目指すといった動きも加速している。
 
 
以前、JリーグOB会副会長を勤める松原良香氏に取材する機会があった。Jリーガーのセカンドキャリアについて尋ねると「OB会で引退後の生活を把握している元選手はごく一部。今でもOB会と何かしらの交流があるのは、引退後に一般的にいう成功している人物といえるかもしれません。毎年多くの選手が引退していくなか、そのすべてを把握するのは難しい」という言葉が返ってきた。

2002年にはJリーグがJPFA(日本プロサッカー選手会)と協力して「キャリアサポートセンター」を立ち上げた。2011年にはJPFAがプロ野球と同様に、退職金制度や年金制度といった選手のセカンドキャリアにおける金銭給付制度の確立を訴えており、各クラブも地元企業との連携を強めるなど対策を凝らしているが、依然として状況は厳しい。
 
 
筆者はこれまで南米、アジア、欧州、オーストラリアなど各国でプロ選手として在籍した選手達を取材してきた。その際に感じたことは、誰もが知るようなビックネームではなくても自身のコネクションや経歴を考慮し、引退後も自身がプレーした国との関係性を活かしうまくビジネスに繋げているケースが多いという点だ。
 
特にここ数年でアジアを舞台にサッカーに携わる人数の増加が目に付く。Jリーグでもお馴染みの三浦泰年はタイ2部リーグのチェンマイFC、三浦俊也はベトナム代表監督として指揮をとっている。また、欧州や南米といった強豪国へのサッカー留学を斡旋している企業も、選手の受け入れ先としてアジア各国との関係強化を図っている。
 
旧知の代理人に話しを聞いても「アジアの市場は今後もしばらくは伸び続ける」という意見を何度も耳にした。国内からアジアに進出している企業数を考慮しても、今後数年はこの傾向は続くと予測される。
 
選手のキャリアで見ると、Jクラブユースや、強豪校で活躍しながらもJリーガーになれなかった選手達が、異国の地でプロとしてのキャリアを積んでいるというケースが増加している。実際に、10年前と比較すればプロの肩書きを持つ選手の数は膨れ上がっており、その数を正確に把握することは困難だ。
 

少し話を戻すが、先述したビジネスを成功させている元選手達には明確な共通点がある。
それは、①語学力があること②折衝力・交渉力に長けていること③継続性があること。
セカンドキャリアに必要な上記の要素が培われたのは、決して恵まれているとは言えない環境の中で10代、20代を海外で過ごしたという経験が大きい。
 
選手、コーチ、通訳、クラブスタッフ、起業者。立場は違うが、いずれも「海外での経験が選手としてだけでなく、人間として自分を大きく成長させてくれた。若い選手にはもっと積極的に海外に出て欲しい」と口を揃える。
 

海外に出ることが、セカンドキャリアの構築に優位に働くとは一概には言えない。ただ、Jリーグ創設から20年を超え、国内に留まらず海外にも目を向けた多様な形のキャリアの選択肢が生まれつつあるのは、歓迎すべき事実といえるだろう。そして、先駆者達が切り開いた道は後世に引き継がれていく。グローバル化時代の到来は、今後のアスリートのキャリアに綿密に関わってくるはずだ。