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今年4月に行なわれた広島市長選に、現役のクラブ社長という立場を結果的にせよ捨てて出馬した小谷野氏。 自身をモチーフにしたコミカルな“こやのん”グッズの展開が大きな注目を集めましたが、それ以上に極めて合理的でありつつ、勝負するところでは躊躇なく勝負に行く経営姿勢で多くのサポーターから愛された社長でした。そんな小谷野氏の出馬は、多くのサンフレッチェ広島サポーターにとってショッキングなニュースだったといえたでしょう。
 
現在は株式会社エディオンに戻り、様々なスポーツに関わる事業を担当されている小谷野さん。2年間の社長時代について振り返っていただく中で、多岐にわたって示唆に富んだお話を伺うことができました。それでは、早速ご覧ください。(取材日:2015年07月24日 取材・文:澤山大輔[アスリートナレッジ編集部])



―――小谷野さんについては、広島市長選後に何をしておられるのか知らないサッカーファンもいると思います。サンフレッチェ広島のサポーターとしては、突然に社長をお辞めになって選挙に出たという形だったと思いますので。改めて、今はエディオン様に戻ってどういったお仕事をされておられるか、伺えますでしょうか。

小谷野薫(以下、小谷野) 私が現在所属する経営企画本部はエディオングループの経営戦略や成長戦略を考えるのが一番大きなミッションです。その他にも会社の中期経営計画を作るとか、投資家や株式アナリストへの対応をするとか、いろいろな機能を担っています。エディオングループはいまは店舗が1,000店以上あり、パートも含めた従業員は2万人、カード会員は家電量販店ではじめて1,000万人を超える非常に大きいグループなので、いろいろな部門やグループ会社とコーディネーションをしながら、事業をサポートしていく役割を持っています。

そうした中で、経営企画本部は会社のプロモーションや広報を担当する部署とも一緒に、スポーツに関するスポンサー活動にも関与しています。ご承知のとおりエディオンはサッカーだけでなく、野球をはじめいろんなスポーツの協賛をしています。女子陸上競技部もアーチェリー部もありますし、様々な形で日本のスポーツを支援しています。

――こういったお仕事は、サンフレッチェに入られる前の仕事とは地続きのものなのですか?

小谷野 そうですね。サンフレッチェの社長になる前は顧問をしていましたが、今の肩書は取締役です。基本的には経営面のアドバイスも含めて事業活動をサポートしていくという立場という意味では同じです。今回は当事者として責任を負うポジションなので緊張感は格段に重いですが、3年ぶりにエディオンの経営戦略に関われることを嬉しくも感じます。

―――そんな新しいスタートを切られたタイミングで恐縮なのですが、今回はある程度過去にフォーカスを当てるインタビューとなります。改めて在職2年を振り返って頂けますでしょうか。

小谷野 サンフレッチェが優勝したあとに社長を引き継ぎましたが、2013年にはリーグ連覇、2014年は残念ながら三大タイトルには及びませんでしたがゼロックス・スーパーカップを連覇し、天皇杯とナビスコではファイナリストになりました。2年目は本当に過酷な日程の中でACLも決勝トーナメントに進出し、チームの成績という意味ではいろんな歴史を刻めた、やりがいのある充実した2年間だったと思っています。

――久保允誉会長から本谷祐一前社長を経て就任されたわけですが、本谷さんが5年間で財務を建て直された、いわばブレーキを掛けながら経営を再建された方だとしたら、小谷野さんはイメージとしてはアクセルを踏みしめてチームに勢いを付けた印象があります。

小谷野 しっかり経費のコントロールをしなくてはならない一方で、サッカーは競技団体でありエンターテイメント事業でもあるので、とにかく事業が縮小均衡に陥らないようにしようと、いつも考えていました。

――切り詰めるだけではなく、と。

小谷野
これは社長就任時にオフィシャル誌の『紫熊倶楽部』などでもお話した所ですが、私が過去いろいろな企業のアドバイスをしてきたなかで、エンターテイメント産業やサービス産業の企業においては、業績が苦しいときに過度に収益性にこだわるがために悪循環にはまってしまい、ますます会社としてのブランド価値や顧客基盤を失う事例が非常に多かったのです。

その辺りは、収益が厳しい中でも広告宣伝費は落とさずにいこうというように、そのあたりは相当に気を使っていました。「無駄なお金は使うな」とはもちろん言いましたが、必要以上にお金を切り詰めた結果「サンフレッチェは今何をやっているの?」「サンフレッチェはいつ試合をしているの?」といったように、広島の街のなかで印象度が下がらないように注意してきたつもりです。

――以前のサポーターズカンファレンスでも「組織のフラット化と意思決定のスピード化を行なった」という旨をおっしゃっておられましたが、フラット化とはどういう部分で行なわれたのでしょうか?

小谷野
いろいろ細かいレベルの役職や呼称があったのを、部長とマネージャーとそれ以外のスタッフぐらいと簡素化しました。組織の中での壁やコミュニケーションの心理的な障害をできるだけ取っ払いたかった。あとは、組織の若返りを進めました。私が社長になったときはスタッフの平均年齢が50歳を超えていましたから、それを40歳半ばまで落としました。私を恨む人もいたかもしれませんが、様々な人の入れ替えをしました。ただ、私は2年間しか社長をしていなかったので、これらの部分に関してはまだまだやれる部分もあったと思います。フロントスタッフの強化やリクルートは、いまだ途上だった感はあります。

私が2年間社長をしていた時はチームの成績も良く、安定して賞金も入ったので、かなり現場に助けられました。一方で、現場はある程度の成績を残しながらも選手層が厚くなっていることが素晴らしいと思います。2連覇していた当時でも、中島浩司選手が大きな門番のようになっていて、若手選手がベンチ入り争いで引退間際の彼をなかなか追い抜けず、逆に終盤戦になってベテランの彼をますます外せない状況になっていましたし。2連覇を決めた鹿島戦で引退を決めた彼が最後にピッチに立ったときは感動で泣きましたが(笑)。

今のサンフレッチェのトップチームのベンチ入り18人枠に入るには、本当に厳しい競争があります。精進した選手も素晴らしいし、限られた強化予算の中で監督、コーチングスタッフ以下、本当によくやっていると思います。その分監督をはじめ現場のチーム・マネジメントはデリケートになっていると思いますが、こうした選手間の緊張感ある争いは、今年のシーズンの終盤やポストシーズンにもきっと活きてくると思います。

また、育成組織、特にユースに関しては、ちょうどプレミア3連覇の後で、試合経験の少ない上級生も多い難しい時でしたが、望月前監督には本当にお世話になりました。ユースに新たに「考えるサッカー」と言う良い土台を作ってもらえたと思います。一昨年のJユースカップ決勝は、残念ながら神戸にPK戦で敗れましたが、私が社長の間に観たベストゲームの一つです。そこを引き継いだ沢田監督は、ジュニアユースでは昨年JFAプレミア杯(ナイキ杯)を獲って英国遠征もして確かな結果を残しましたが、ユースの指導となるとまた大変なことが多いと思います。でも、持ち前のガッツと明るさでユースの伝統の新しい歴史を切り拓いてもらえると思います。

一方で、昨年末にはJリーグのテストケースとして海外の育成組織評価機関にサンフレッチェの育成組織を評価していただいたのですが、指導者の勘に頼らない体系的な育成メソッドの確立や、有望選手のスカウティングに関するデータベースの整備の必要性など重要な示唆がありました。指導に際して、これまで感覚的と考えられていた事柄をどこまで言語化して指導できるかが大切なことであることなど、サッカーの世界に留まらない人材育成のヒントもありました。

サンフレッチェの社長を辞めるにあたって一番心残りだったことは、アカデミーの長期戦略が手つかずだったことかもしれません。私は社長としてサッカーの現場には可能な限り干渉しないようにしてきましたが、選手育成の枠組み作りに関しては非サッカー的な部分やコスト・ベネフィットや実効性の観点などから実際の方策を取捨選択する場面も沢山ありますので、いろいろ現場に貢献できることがあったように思います。横浜Fマリノスがマンチェスター・シティと提携したり、FC今治が岡田オーナーのもとでSAPと提携したりしてこうした分野の先鞭をつけていることに対して、何か社長として手助けしたかった。

――本当に厳しい戦いでしたね。2連覇した2013年は勝ち点1差でしたし、33節までは2位で、最終節で横浜Fマリノスをひっくり返す劇的な優勝でした。

小谷野
2014年は3大タイトルには届かなかったですけど、公式戦を51試合こなしたのは誇らしいと思います。これは、ヨーロッパのちょっとしたクラブ並みの陣容になったと思います。森保監督と先月会ったとき「まだまだ若手で完全にレギュラー奪取をしている選手は少ないし、ナビスコ杯もグループリーグを突破できなかったので、若手にとって実績とは言えない。勝負はこれからです」と謙遜されていましたけど、着実な若返りと選手層の厚みについては現場と強化部がよくやってくれていると思います。

そうした意味では世代交代も少しずつ進んできて、若い選手もだいぶ育ってきました。今後の5年間に向けて、チームの良い土台はできてきていると思います。一方、フロントの活性化や再編もそこそこ進んだけれど、競技の現場に比べるとまだまだというのがこの2年間での印象です。意思決定は少し早くなったけれど、1年間の試合日程を見据えて、個々のゲームの3カ月ぐらい前から集客プランやアトラクションを含めた動員計画をきちんと練って積み上げて行くということが、私が社長を辞めた時点ではまだ徹底されていませんでした。そこは今のマネジメントとフロントスタッフに頑張ってもらいたいところです。私が社長をしていた時以上に、迅速かつ先を見通した組織運営になるように期待しています。

――社長を交代されるときに、織田さん(秀和、現社長)にもそういう話をされましたか?

小谷野
そうですね、加えて、私が今までやろうとしてできなかったところは経営会議などで織田社長も共有していますので、そこはしっかりやってくれるだろうと思います。また、言い方を変えれば、私がやってきたこともある種、本谷前社長がやろうとしてできなかったことです。それを1つ1つ潰して行こうとしたわけです。フロントスタッフの機動力向上や、組織の壁をできるだけ取っ払うとかは、まさに本谷前社長からの継続です。やはり経営には王道はないので、できることを継続してきちんとやることはベースとして非常に大事です。それとは別に、そういうことをやった上で新たな顧客層を呼びこむための施策というのは、それぞれの代の社長や経営陣が独自性を追求しながら新しい道を切り開いていく部分だと思います。